春なのに デートもしないの?

ほっとけ。

世間は春のようですね。
と書いて、女衒じゃないよ(by やまねこ)と思ってしまう私は
最近やっぱりおかしい。
まだまだ肌寒い上、桜は開花の気配もなく私の生息区域には
そんな兆しはいっこうに見えない。しかし、春である。

今年の春は、眠くてたまりません。
隙あらば寝てすごしているのではないかしら。
日常生活は、滞りなくこなしてはいますが
だんだん夢との境があやうくなってきました。
何か目の覚めるような刺激がないと、もう起きられそうにありません。
目の覚めるような美男とか・・・。
アンアンの好きな男ランキングが全然好きじゃありません。
女はそういうの見てキャーキャー言ってなんぼです。ブルーです。

そんな自滅的な気分を救ってくれるのは
ピチカートファイヴの「ベイビー・ポータブル・ロック」
「春なのに」なんてもはや聞いちゃいられません。好きだけど。
10代の頃はこの曲よろしく、先輩のボタンを手に涙していたというのに。

春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
「春なのに」は歌うけれど
こちらは開口一番
春なのに デートもしないの Baby不思議じゃない
である。
春だし、デートしてやるから迎えに来い(車でな!)
というのがこの曲の要旨なのです。

中島みゆきを差し置いて、実は私にとって最も気力のわく曲だ。
どんなに力強く励まされるよりも。
そして何より、今の季節にピッタリ。
春特有のイライラを倍増させてくれます。わーい。

そう、がんばらなくちゃ的元気では決してない。
ぐっそーあいついつか殴っ・・・(もちろん私は清純派ですから)
みたいなむかつき感最高潮で、猛烈にやる気が出ます。
聞いた直後の勢いで、あふれる情念を昇華しつつ3キロくらいは走れそうです。
茶化しているわけではなく、この曲のもつ無尽蔵な明るさ
中島みゆきでは得られない、いっちゃってるけどシュールで明るい感じ
自分にない要素を付加するとしたら
ふだん日経ウーマンならまだしもBigtomorrowとか読んじゃうけど
JJ、Cancam読んどこうよみたいな。
ちょうどあんな女子力炸裂、男受け命なパワーで
そうそう、あたしって女だったな、楽しいことを探さないと!
そんな元気が出る感じでしょうか。

この曲発売の96年は、さしあたって覚えている年です。
ていうか、それ以後の記憶がありません。
気づいたら年号が2000年を刻んでおり
気づいたら5年もたっていました。また国勢調査の年になってしまった。
眠っているのは今の私の方で、実はこれが夢なんじゃないかと。
(夜会による逃避的思考)

ともかく春は嫌いです。春を逃れて北上して、一気に南下し夏へ飛ぶ。
寅さんみたいなそんな暮らしがしたい。
しかし、夏もダメなのでした。太陽がキライ。
ともかく涼しい風がふいたらもう、勝ったも同然。
それでも、そんな気がするだけで
冬から春へと坂を降り 愛から冬へと人づたい
のぼりの傾斜はけわしくなるばかり なのかもしれません。
でも、やっぱり春の服を着るんです。

ところで「忘れな草をもう一度」と「冬を待つ季節」って似てませんか。
「春や夏や秋があるのは」というくだりと「春夏秋は冬を待つ季節」
ここが混同するんですよね。
試験中に思い出そうとするPCTとPLTとSPLTのよう。
これはなんか条約名ですね。もう忘れました。
ああもう、紛らわしい!みたいな類似で長らく区別がつきませんでした。
ぜんぜん似てないですね、実は。
しかも、この題「『春』を待つ季節」だと思ってました。
頭がゆるすぎますね。「春はくり返してる」ってゆってるから。待ってないから。
つっこむのも悲しいものです。

「私たちは春の中で」の中、みゆきさんのグエエーという叫びを聞く
それでちょっと、救われる。
そんな私の着メロは「グッバイガール」だ。
 
春のでてくる曲にふれてみましたが、それでもまだまだあります。
どれも幸せ感皆無なところに乾杯。
これは一種のテロリズムである。(梶井基次郎)かもしれない。

今宵の春の月は上弦だそう。
こんな夜は「シニカルムーン」かな。