夜会によせて
次回の夜会は再演ですね。
近年の活動しか見たことがないと、暖かい時期のみゆきさんというのは
あまりイメージがわかない。こんどは夜会だなんて。
夜会の帰り道は、気分的にクリスマスムードの「Lovers only」(当然ひとり)
ではないかしら。でも、現に今年のコンサートは思いっきり春だったし。
中島みゆきのステージを生で見る興奮は、何事にも替え難い。
今となっては、その年自分が何していたのか
夜会やコンサートの記憶をたどって思い出す始末だ。
けれど記憶に残るのは、断然夜会である。
コンサートは実を言うと、行ったことさえ意外とすぐ忘れてしまう。
夜会の最大の楽しみは、本編を見た後のちに発売される映像版で
新たな発見をしたり、くり返し余韻を感じられること。
「24時着0時発」は、今でも一曲目の一小節を聞いただけで
あの会場にいるような気がして、現実から解き放たれる
浮遊感を味わえる。
そのうちドラムがはいり、歌が始まればもう忘我の境地。
なんて単純。なんて幸せ。
あれから2年がたとうとしているというのに。
わたしったらこんなに夜会に通って大丈夫かしらと
思ったものだけれど、いまだにこれだけ楽しめるなんて、
もはや毎晩仏壇に話しかけるばあさんのように、見ながら
有難やありがたやと手をあわせるしかない。
「海嘯」のこと。
「紫の桜」の紙吹雪を頭からかぶるような、前列で見られた夜会。
しかし、みゆきさんが間近なのが嬉しいだけで、眠くてたまらず
しかも内容は理解不能だった。
今は、何度も見たから、ではなくて、
あの頃、暗雲が立ち込めている印象を受けたこの話がよくわかる。
心にすっと入ってくる。
そう思えたのも、ほんの最近のこと。
公演からは、7年がたっている。
帰ってたら、かばんに入りこんでいた紙吹雪(1センチ四方の紫の薄紙)
当時、中島みゆきに救いを求めたい気持ちだけが先にたって
しばらく手帖にはさんでいた。
それは今でも、ここにある。
夜会は、人の人生に沿うところがあると思う。
みゆきさんの尽きない発想と創意のたまものである舞台で
そのときどきで打ち出されるテーマ。
見て聞いて楽しむにとどまらない、ステージの重厚感。
そして、日々いろんな思いをして様々な暮らしをしている私たち。
どう思うかなんて人それぞれ。
必ず見るとも限らない。通いつめるのも。
それもいいと思う。
中島みゆきが夜会という、歌の枠にはとどまらない試みを行っていなかったなら
私は、こんなにもこの人にはまらなかった。それは確かだと思う。
夜会というものを知ってから、実際に見てから
よりいっそう、中島みゆきに興味がわいてたまらなかった。
それくらいに、私は夜会がとても好きだ。
ところで、私にはすっとばしちゃった夜会がある。
それも、週の半分、渋谷に通っていたような時期でありながら。
告知からチケット発売、夜会の開催、終了さえ
真面目に気づかなかったんです。翌年まで。
まあ、色ボケですよね。
見に行かなくたって、あの時は毎日が夜会(恥)
それもまた、一興。
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