コンサート2007
おとなになったとおもっていいですか 編

日々のあれこれに忙殺されて過ぎ行く日々。
あしもとの石くれを拾うのがせいいっぱいー
そんな私に、中島みゆきコンサートのうわさ。
行かなけりゃ 行かなけりゃ 
私はしあわせになれない。
慌てて応募し、仕事を抜ける手はずを着々と整えた。

いつもみゆきさんに会える日は、
みゆきさんに会うためだけに備えていた私。
そんな贅沢はもはや許されない。
しかし、殺伐とした職場から向かうからこそ、
会場への道は天使の階段。
この灰色の道が、みゆきさんに続いているだなんて、
銀座七不思議の一つと間違うくらいに、信じがたいことだった。
あとで考えると、そのくらい会場は神々しかった。マジで。


「大人はいそがしーのよ」
「短篇集」の頃からだろうか。
働く人は、CD聞く時間もない、疲れてる。
だからこその配慮。
そんなみゆきさんの発言を耳にするようになった。
ようやく私にも、その真実味が日に日に響いてくる。
自らを省みる余裕なんてなく、だからといって進むには疲れすぎ。
何してもしなくても、飛ぶように過ぎて行く日々。
事実、近くの背広姿の男性は、しきりに時計を気にして中途退場し、
前方の座席は中盤でようやくすべりこんだ、また別の男性で埋まった。
ほんの少しのこの時のために、時間をさいてきていることはあきらか。
何の事情かわかりませんが、この私めが必ずや、貴方様のぶんまでも
きっちり瞼に焼き付けておきますからね。
そんな念を送っておいたのだが、あの紳士たちにははたして届いたろうか。

昔から中島みゆきのコンサート会場に来ると、妙に気恥ずかしく、
周りを見渡す余裕もなかった。
大好きな人なのに。
どこか臆してしまって、なにかが自分にストップをかけていた。
会場を観察するにしても、草葉の陰からぐらいそっと、うつむいたまま
視線をめぐらせるくらいであった。

そんな私がようやく、背筋を伸ばして、ここにいられる。
あんな平謝りで、職場をそそくさと後にしたそのわけが、
ここに来るためだなんて知られたら、その場で憤死してしまうであろう
気の小ささは、相変わらずだけれど。

しあわせだな。純粋にそう思える時間。
この間のもめごと。この先の厄介ごと。
それはそうとしておいといて、今はただ。
やっと私も大人になれたのだろうか。

「唇をかみしめて」
吉田拓郎のこの曲を、私は聞いたこともなかった。
何の情報も得ずまっしろの状態で出かけた私には、
思いがけず衝撃的だった。
異国の香りのするこの曲は、いったい?
マニアの私に知らない曲なんてありえない。
でも、なに?このなまり。
なに?この不思議なひびき。
やさしげなうたいかた。
とりこになった。
曲目が移り変わっていっても、しばしこの曲で頭がいっぱいだった。


「重き荷を負いて・ララバイsinger・アザミ嬢のララバイ」

ただひとこと。素晴らしかった。

時代をこえて
歌をこえて 
そんなありふれた言葉の具現化を、いまここに見た。
そんな気がした。
この光景が、何か決定的なみゆきさんの集大成に見えたのだ。

「背広の下のロックンロール」
サラリーマン諸氏の心わしづかみ必死の
この曲をむかえるころには
会場が、あたたかいものに満ちているのを感じた。
みゆきさんから発せられる光が、歌が、そこここに満ち満ちて、
一人ひとりにふりそそぎ、みんながそれぞれの思いで
みゆきさんを見つめている。
ああ、すごい。これが、場の力。一体感。
数多く見たみゆきさんの舞台でも、はじめてそれを感じた。
そして感じられた自分が、うれしかった。

しかし、あんな公演が長いとは思わなかった。
いや、みゆきさんとの時間はいつまでも続いてほしいよ。
でも、もう終わりの雰囲気が漂うアンコールから
あんなにガツンと大物ぞろいで始まるんですか。
おねえさん、もうついてくのがせいいっぱいでした。
聞いてるだけなんだけど、もう、ぱわーがきれてきたよ。
みゆきさんは、なんであんなにげんきなんですか。
ほんとに○歳ですか。
会場を、自らのパワーで包み込み、一人ひとりに感動を与えて、
そのすきに、いや訂正、その一方でなにか吸いとってるんですか。

もう、帰路につく頃には、大満足だった。
コンサートより夜会でしょ。ファン気取り・・・でもないけれど
いつも確実にそう思っていた私。
それが、コンサートに行き始めて十年。やっとわかった。

みゆきさんの歌は、本当に、大人のための歌なのかもしれないと。
必死で生きてる人のために、必死で歌っているんだと。

いつだって、どこにだって、その歌はふりそそぐ。
大変になればなるほど人生おもしろいって思っていいんじゃないか。
修羅場の数ほど、蓄えは増えるんじゃないか。
中島みゆきの曲がいやってほど沁みてくるんじゃないか。

本末転倒かもしれないけれど
そのために、私は生きてみたいと思ってしまう。
いつか婆さんになって、走馬灯のように
みゆきさんの曲と男の数を、頭にめぐらせつつのむ一杯のために。

私は、10代そこそこでみゆきさんと出会えたことを、とても幸せに思っている。
今だってまだまだ青いけれど
この先の人生、みゆきさんの歌があるのなら、
どんな思いをするときがあっても、
それを昇華して生きていけるように思うのだ。

おおげさだろうか。
みゆきさんの歌声をきけないのなら、
自分で歌う、その歌で
泣いても、わめいても
その先には穏やかに笑える自分がいると、
信じられるのだ。