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正直未だ消化しきれていない。
いつかたがつくのかわからないので、まとまらないまま覚え書き。
のちに改訂します。
「今度の夜会は難解」と
見知らぬファンが言っていた。
さらにネットをさすらえば
皆、解析に励んでた。
その真面目さに感じ入る。
テーマがわかれば予習をし
疎い古典をひも解いて
夜会の意味を探ろうと
伝えたいことをつかもうと
やる気と熱意に欠ける私はあえて
真っ白な頭で見に行くことにした。
前情報は全く入れず、
本人インタビューで山椒大夫がテーマと知るのみ。
原作も読まず、プログラムもなしで。
なにしろ此処は実験劇場
なんの予習が要ろうかと(正当化)
食い足りない1回目。
いつもながら初見で歌詞を聞き取るのは、困難を極める。
言っていることが、さっぱりわからない。
分語調な上、字面からして難解な言葉のオンパレード。
承知の上だろうけど。ハードル高いなあ。
サカスは、青山よりは音響がいいと思ったが、
言葉の伝達におけるコクーン効果を、またもや感じてしまった。
さしあたって、
ゆるされがわわたれ→ゆるされたわが子へ(少しは整合性あり)
有機体は過去を喰らう→肉体は過去を喰らう(ホラー系の香り)
としか聞きとれず。
衝撃はラストに訪れた。舞台挨拶。
みゆきさんが、台詞ではない肉声を発する。
その瞬間、それまでの感動全てが台無しになった気さえした。
なんでそんなことするの?てか黙っとけワレと思う。
終わっての第一声は、ポカーン(声出てないし)
どうだったのかと問われても・・・。
完全にもってかれた。
すごかったよ。すごかったけどね。もやもやしたものが残る。
すっきりしない。この夜会、問う女系?
総じて、食い足りない。
見所やクライマックスはあったものの、もう一山待ってたのに
強制送還されたような、不本意な気持ち。
クエスチョンが次々と湧き出る。
これは、あれだね、緊張する接待の席で食事したら
食べた気しなくて、帰ってから精神だけぐったりしすぎて
変にお腹すいちゃって、ヤケ食いしちゃう系。
さっき食べたはずの、ごちそうに似て。
ナニアレ?とばかり思ううち
浮かんできたフレーズがある。
「願いと予感は間違えやすい 信頼と期待はあまりにも似ている」
私は救われたかったのか。
自分好みの、答えを探して見つけて
感動して、涙を流して、ああ良かったねって
帰りたかったのか。
そんな思い自体が甘えなのか、勘違いなのか
みゆきさんは甘くない。
甘い、私。
ありがたい2回目。
幼少期以来の、山椒大夫を読んで臨む。
まっすぐに見つめられて
「もう十分に泣きました」
まっすぐに手を差し伸べられたら
十分すぎて泣くしかない
あの瞬間、十年寿命が延びたよ。
天皇に声をかけてもらった昔の一平民同然
ありがたいものに触れた気がした
おありがとうごぜーます
それは有り難いって書くんだよ。
奇跡の瞬間。
その夜の挨拶は
「みなさん、激しい雨の中を大変な思いをして来られました。」
ここポイント
「来られたと思います」などでなく、「来られました」(断定)
ついつい涙ぐんでしまった
みゆきさんにそんなこと言われたら
タクシー横付けして傘も持たずに降りたとしても
この日のために寝ないで働いて、その上嵐の中をずぶぬれで
たどり着いた様な気がした
テクニシャンだ、みゆきさんは。
無意識でしょうけど、もちろん。たぶん
はいこれまでよの3回目。
座った二階席からは、オーケストラピットがよく見えた。
目を引いたのは、ヴァイオリンのお姉さん。
二の腕がね、そうでなくて、夜会音楽の主旋律を多数担う
この楽器が、会場に響くさまがダイレクトに体感でき
生演奏にうっとりする。ともするとみゆきさんと同じくらい
熱い視線を注いでしまった。
ところで
「自分の見る回が最高の出来であってほしい」
そんな風にいつも思うのは、私だけでしょうか。
こんな風にわざわざ問うのも、恥ずべきことですか。
前半、今ひとつ伸びの良くないみゆきさんの歌声に、
声出てない?まさか調子悪いんじゃないの
高い金払ってんだからしっかりしてよとまで思う。
怖いですね、愛って。
それは愛ではない。
あまりに利己的な自分の醜さを突きつけられるひととき。
怖いですね、夜会って。
この日のみゆきさんの挨拶は、型通りで極めて杓子定規な
ものに感じられた。
これでいいかな。私には、もうお腹いっぱい。
そう思った回。
「中島みゆきまる出し」とまで本人が言う夜会。
見届けてやろうじゃないのと思って見てきて
今の私には、ここまで、と思った。
良薬なのか、劇薬だったのか、ドーピングしてたのか
副作用出てたのか、まったくもってわからないけど。
私の心理的変遷は、こんな感じ。
振り返って思うのは、当たり前ながら、自分の心理が
感じ方に影響するということ。
思ったままが、見たままに。
大きなことを言えた柄ではないですが、
もっと気楽に楽しんでいいのではと私は思う。
気合入っちゃうのは、事実ですけどね
夜会鑑賞は真剣勝負、一本勝負だから。
インスピレーション
一回ごとに心に引っかかる言葉が違う
それが、受け取るということ。
そうして引っかかる所って、自分に必要な所だと思うのだ。
偶然耳に入った周りの会話やラジオが、知りたい内容だったりする。
同時期に異なる何人かに、同じ意味の言葉を言われることもある。
さすがに気づかざるをえない。
私に何かを伝えようとしている力に。
好き好んで行っている、大好きな人の夜会は、その凝縮版と思うのだ。
意味なんて、いらない
見に来た私の感じたままが、意味。
それでよくはありませんか。
「山椒大夫」を読んで、強烈だったのはこの一文。
子供らの母はただそういう掟のある土地に居合わせた運命を嘆くだけで
掟の善悪は思わない。
そういうことだ。極めてシンプル。
出来事を恨んで状況を恨まない?
罪を憎んで人を憎まず ん?
出会いを恨んで別れを恨まない そう?
患者を診ないで病気を診る は?
まあいいや、そういうことだ。
そして結末。盲目の母が見えない目で前を見る。
涙でうるおい、見えないはずの、目が開く。
これが天鏡につながっているのだと思う。
尊いものの象徴として描かれている、涙。
だとすれば、この夜会はみゆきさんの言うように、山椒大夫にのっとった
この上なくシンプルな、お伽噺なのかもしれない。
今回の夜会が自分にストレートにはヒットしなかったのは
テーマと自分との乖離のせいだろう。
罪の意識の乖離。その捉え方の乖離。
あの一晩があったならという発想も。
逆に私には、「なかったら今の私はない」と確信をもてる
一晩がある。転轍機の夜。
そんな晩をもてた私は幸せ。
無は有を求める
有は無を振り返りはしない
誰のせいでもないけれど私はここにいる(紅蓮・・・)
存在価値を問うにしても、今の私には、ピンと来ない。
ただ罪というならば、近頃よく考えることは、
人の罪状意識について。
取り返しのつかない罪を犯してしまった人間は、
何を思って生きていくのかと。
人ごとといえば人ごとで、その苦しみは
たとえようもないだろうけれど。
若くして、車の事故で人をひいた知人。
花形だった仕事も辞めた。
何を思って生きているだろう。
私ならば。
耐えきれず、命を絶ちたくなるかもしれない。
人を殺した自分が生きていることが、私にとって罪?
テレビで見た障害者。24時間、全介護。
でも積極的に外に出、旅行もする。
手を借りるのが当たり前と。
私ならば。
小さくなって閉じこもって死を待つだろう。
人をそんなに信じられない。自分の価値も見出せない。
人の助けで生きることが私にとって罪?
人は
何があっても、何をされても、どんな思いをしても
時がたてば
声をあげて笑うことも、
心地よい風に微笑むことも
人を祝福することだってあるだろう
時がたてば
罪
それを許すということ。
許せない人がいる
許せないこともある
どうにもならないことは
誰のせいでもないのだと
ところで私は、ミスが許されない職務に就いている。
限られた時間、足りない能力・技能、その他のせいで
非情にもたびたび追いつめられる。
そんなもう限界寸前
そんなとき、キター!!
脳内であの船を漕ぎ出す。
ここま〜できた〜ら
できることはひと〜つ
ゆるされがわわたれ ゆるされがわわたれ
*リピート
ああ、脳がほどけてきました。
なにもかもありがとう
もうじゅうぶんだよ
うーん、私、まだまだ頑張れる気がするの
そんな夜会プレーで乗り切る術を覚えた12月。
苦しいね
悲しいね
お焚き上げ 大乗会
夜会って、そういう会だったのね。
すべて認めて成仏させる
ああ ありがたや
夜をくだされ と 夜いらんかいね
が対になっていることに、さっき気づいた私は
かなりの阿呆ですね。
2万で買う、2時間20分+その夜一晩(夢込み)
それと引きかえにする昼は、どれくらい?
少なくともその前後三日、多いと一週間いやそれ以上
ともするとその後の一生。
赤坂で毎晩夜を売ってた中島みゆきは
デビュー時からの今晩屋であるわけですねえ。
そのうえ大晦日。
除夜の鐘を聞く度に潜在的な何か(実は自らの業)が気になって仕方ない。
ばーさんになるまで、百九番めを気に病んでしまいそうです。
なんて罪なのだろう。今晩屋さんは。
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