母なる貴方
私はみゆきさんに育てられたと言っても過言ではない。
年齢ではなく大人になるために。
心も体も自分の足だけで立つために。
時に励まし、時に共に笑い、泣いた心の中のポジションは
親友とも恋人とも似て非なる
もはや他人ごとではないレベル。
あまり自分の生活に入り込みすぎて
意識下に入り込みすぎて
もはや曲を聞くことさえしなくていい。
あなたがいてくれるだけでいい。
あなたを思うだけでいい。
それは、母のような存在。
もはや私は、あなたの励ましをも受け尽くしたのだろう。
あなたの歌から足りないものを、補い尽くしたのだろう。
あなたの歌を聞いても、そう心が動かないかわりに
自分が落ち込むことも、
寂しさやむなしさを感じることもなくなった。
言い知れぬ不安や恐れさえも。
そしてなにより精神的、情緒的安定を得た。
動じない心、惑わされない強さをもらった。
何があってもなくても、
自分が何をもっていてもいなくても
人を羨むこともないし自分を蔑むこともない。
私は私。
そう言いきれるようになった。
そんな貴方だから、私はいつしか
あることが頭をよぎるようになった。
親との別れが絶対であるように
いつか迎えるであろう
あなたが先にいなくなるかもしれない日のことを。
胸に焼き付いているフレーズがある。
<結婚するのは親が死んだとき
一緒に悲しんでくれる人を得るため>
人生って、寄り添ってくれる人が必要なのだと
子供心に思った。
他人と身内になっていくということ。その意味。
私は、誰かと中島みゆきをわかちあおうとは思っていない。
わかちあえるとも思っていない。
けれどこうしてみゆきさんについて書き続けて、
書くことで一層愛着を増しながらファンをしてきて
長年読んで下さるファンの人もいて、
ここのおかげで得られる出会いもあって
気づけたこともたくさんあった。
そんななかで、ひとつの予兆があった。
これはある種の備えなのだ。
あきらかに自分本位である。
あきらかに不謹慎である。
けれどこういう場をもったことが、
こんな私が、同じ話をできる人がいるということが
今はただ少しだけ、自分のためによかったと思う。
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