24時着0時発
夜会は、見た人それぞれの感性や境遇が呼応して、
感動や共感を呼ぶのだと思う。
今回の夜会を、難解という人もいれば、分かりやすいという人もいる。
これだけ夜会を見たがっておきながら睡魔に襲われた年もあった。
今まで、みゆきさんを近くで見られるだけで満足だったことも否めない。
今年。私にとっては、当たり年。
初めて、生の夜会とはこういうものなのかと分かった年。
話がリアルに感じられて、胸が締めつけられる気がした。
一瞬一瞬を、心に刻み込んでおこうと思った。
初めてそのためにわざわざ見に行った夜会。
それも何度もだ。
諸経費については、考えたくもありません。
じゅうまんはつかってるよねあたし…
今回のことで、よくよく分かった。
万事繰り合わさせられてしまう、自分の中での
中島みゆきのプライオリティーというものが。
新曲満載の夜会に行くとき、私はいつも暗譜する気まんまんだ。
1度目ではサーモンダンスで全てが吹っ飛び
最後の2曲しか記憶にありませんでした。
2度目で曲を覚えてきました。
あれだけ新曲が多いと、歌詞を聞き取るのも、歌の意味を推し量るのも
やはり一度では無理です。でも、いい曲ばかり。
忘れないように、たまに1曲目から歌ってみていることは内緒です。
まず。みゆきさんのおみ足がよく見える舞台でしたね。
チャイナドレスのスリットや、舞台上で横になったときのめくれ具合
「ごらん〜♪」ていうのは、みゆきさんの自信の現われなのか。
見ていてハラハラしながらも、目がくぎ付けでした。
男性諸氏は、もっとでしょうね。
私が挟まれてたおじさまも、思わず姿勢正してたもん。
「歌のテーマは、前世から来世まで」
10年位前にラジオで、みゆきさんが言っていたこと。
その色が濃く出ていて、でも、すごく救いのある話だったと思う。
以前の夜会を思い出した。
「2/2」で、茉莉がラストに梨花をふりはらって出て行く。
自分の分身ともいえるもう一人の自分が、主人公を残して消えていく。
「ウインター・ガーデン」では、「いない私」として生きようとする女が描かれる。
それは、「影」としての人生を選び取ったということなんだろうか。
今回の影とあかり。
ラストで、影が消えていく。それは、あかりでもあるのかもしれない。
でも、それは別れというより「またね」。
どちらが表とも言えない。
あかりと影/白と黒/裏と表/始めと終わり/存在と無限
都会と故郷/有罪と無罪/降りる昇る
それらは、メビウスの帯
相反しているようでいてつながっていて、どちらにだってなりうる
「線路の外の風景 」の、何も疑わずにレールを進んでいく娘たち
「パーティ・ライツ」の、辿り着いて招かれた人たち
が、必ずしもあちらがわの人とは限らない。
川と線路は、人生の象徴なんだろうか。
帰る場所、ふるさととは限らないどこかがないと思っている人も
行く手をふさがれて先が見えなくて、もう戻れないとあきらめてしまっている人も
その軌道に入っている限り、出口はその人のためにだけ開く
どんなに迷っていても。
ただし、自分が変わらなければ。
その鍵は、転轍機。
時計の針を戻して、
その軌道に入り込んだ過去のある地点に戻ることは
ものすごくつらいし、勇気がいる。
その地点から現在までの自分、
その何もかもがゼロになってしまうような気がして。
でも、そうじゃない。
それは、未来にふみ出すことなのだ。
すべてなくしてもすべては始まる
そうやって進んでいくことは、ちっとも怖いことではない
真空とは、物質の全くない空間もしくは、活動の停止した空白状態
今回、歌詞に「真空」が多用されているのは
真空であるほど、飽和に近いからなのだろうか。
何にもない真空から永遠まで各駅停車
存在と無限の間をくぐり抜けて走る
無限軌道は真空の川 ねじれながら流れる
無限軌道は真空の川 終わりとはじめをつなぐ
すべてはつながっているのだから
気に入っている曲がある。
好きな未来を あなたの手で選び出して
ひとつだけ当たり あなたの手の中に ほら
「フォーチュン・クッキー」
なんて可愛らしくて、かつスパイスのきいた曲だろう。
でも、私が一番共感したのは実はこの台詞かもしれない。
理由は分かりません 何も
この先は分かりません 何も
「廃線のお知らせ」

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