「小石のように」

該当する項目に、チェックして下さい。

・貧血でばったり倒れて目立つ。
・クラスにいないと、友人が保健室に探しにくる。
・好きな人は、図書室の窓から隠れ見るべし
・上級生に好かれがち。で、逃げる。
・進学校(皆真面目)なのに、病欠のフリでさぼる。
・同じく遅刻、早退しまくる。

誰も当てはまらないと思うんですが。
私が一番精神的にみゆきさんにはまっていたのは、
そんな高校生の頃だ。
生身のみゆきさんを見たこともなくて、純粋に歌だけを、聞いていた頃。
そうそう、中島みゆきかぶれな青春の一環として、
年の終わりに今年の一曲を決めてたんです。
例えるなら、年末恒例で書かれる今年の漢字in清水寺みたいなもの。
高校時代
「小石のように」
「くらやみ乙女」
「根雪」

今は、やってません、ので聞かないでください。
みゆきさんデビューの年齢を、自分が追い越してからは、
同じ年齢で出たアルバムを、今年の1枚にしているだけ。
だけって。それで十分と人は言う。
「ああ、この年でこれを出すなんて」と、自分の凡人加減を思い知りつつ
聞く程度なんですが
素敵にみゆきまみれな人生。

それで、「小石のように」。
歌にあるとおり16の頃、「座り込むにはまだ早い」とは
(希望に満ちた未来へ)「さあ、行きなさい」と背中を押されるように、
励まされるように感じていたこの歌。
意味がわかっていなかったんですね。
それこそ旅を止める親鳥、それが足枷なんだと思った。
自分がいる場所から出たくて出たくてしかたがなかった。
ばかばかしいことに、社会的成功それだけが王道と思っていた。
そんなはずはない。
 
めぐりめぐって十年経って、なんにもしていないのに、
人生を分かったような気になっている。
先が長すぎる気がして、倦んでいる。
そんなとき、この曲が、昔と違って聞こえます。
座り込むにはまだ早いと、尻をたたかれているような。
そして気付く。ああ、この歌は逆説なのかと。
「座り込むにはまだ早い」は
座り込んでいる。→立て!(あるいは進め!)と。
立っている(進んでいる)→座るなよ。と言われていると思っていたのに。

まだまだほんのひよっこなんですね。
やるべきことは、山のようにある。
例えばもう十年。そのとき何を思うんだろう。
そして、今のみゆきさんと同じ50を過ぎてアルバム「恋文」をきいたら。
何も分かっていなかったと思うんだろうか。
そんなときをむかえるためには、ほんとうに、座り込むにはまだ早いのだ。