御機嫌如何


秋風のふく季節になると、きまって言われることがある。
「今年も・・・」
もちろん、後に続く言葉は「中島みゆき見に行くんでしょ」
今年は「うーん、どうかなあ」

そんなみゆきさんの歌を、3ヶ月は聞かなかった。
ある日を境にぱったり聞かなくなって、それっきり。

こんな日が来るとは思わなかった。
なんてこともない。
こんな日が来るような気もしていた。
執心で、もうたまらない気持ちのときも。

私がみゆきさんのディープなファンであることは
決して、大っぴらはしていない。だいいち家族は知らないし。
それでも、私という人間をわかってもらうためには
重要なファクターであると、この頃は思う。
<十代の終わり、つまり、一般に自我が形成される時期に
どんな音楽を聴いたか、その音楽でその人の一生が決まる>(By 筒井康孝)

思春期を共にすごした長い付き合いの人に
初めて、中島みゆきのものすごいファンだと言ったら、ひとこと。
「あー、そういう感じ」
中島みゆきのファンって感じって?どういう感じ?
小一時間ほど問い詰めましたが
まあ、そういう感じなのだろう。
たとえ、この先聞かなくなっても
私はたぶん、そういうタイプの女なのだ。

新譜は発売10日、逡巡したあげく買ってきた。
90年代の中学時代にみゆきさんを知って
それまでの歴史をたどるべく、1日1アルバムなんて贅沢ぶりで聞き惚れていた
私には、90年以前というセレクトは近い青春?って感じだ。

私がいちばんぐっときたのが、大穴でしょうか「横恋慕」。
ささやき加減が「SINGLES BAR」を思わせる。
20年経つと、こうなるのかと。(何が?)
抑えがきいて、凄みが増しています。
「止め金のとれたブローチ一つ捨てるしかない」
けれど、中島みゆきがすてるはずがありましょうか。
後生大事に持って、あるいは壊れていないブローチよりも
頻繁に使用していそうです。首に下げているかもしれません。
なんちゃって。
それは、昔の大衆イメージですよね。
今ならば・・・。歌声が、深いです。

今年でちょうど人生の半分を、みゆきさんを知らずに日々育ち
もう半分を、日々中島みゆきを聞いてきたことになる。

私が本当にいいと思える曲の多くも、80年代までで
リアルタイムのそれ以降は、じつのところ消化試合のように、
出れば聞いていたことは否めない。。
瀬尾さんのアレンジパターンは、飽きてきた感もある。

それでも目が離せないのは、やっぱりいつでも
進化しつづける、現状に甘んじないみゆきさんのエネルギーに惹かれるからだ。
歌手であり、いい歌を歌う人ではあるけれど
最終的には、人間的に興味がつきないということなんだろう。

みゆきさんは
<昔の方がよかったなら、昔のレコードだけ聞いてとしか言えない>
というような主旨の発言をよくしていたが
その一方で「時代」を代表として、リメイクだとか歌いなおしをたびたびする。
今、の歌い方で伝えたいというのは、とてもみゆきさんらしいと思う。
みゆきさんも変化している。聞く側だって変化している。  

私ももう、原曲を聞いていた頃の「14や15の娘」ではないし
やっぱり今が一番いい。
何があっても。