愛よりも〜色と欲〜


忘れられない人が、いる。
季節が巡るたび、思い出す。
春は菜の花あえ、秋にはききょう焼き・・・
それは、おいしいものをいっぱい食べさせてくれた人。

珍しいもの、高級なもの、旬のもの。それもある。
けれど、ならばお金で買える。
なにより手料理が、劇的においしかったのだ。
腸は、第二の脳だという。
思い出すのは食ばかりなのは、そのせいなのか。

本当はわかっている。
用意して、出してくれて、一緒に食べる、
そんな共にある空間が、その瞬間瞬間が、その人の気持ちが
たまらなくうれしくて、楽しいのだ。
そのおいしさは、幸福。幸福は、生きる喜び。
そう完全に、私食べる人(女失格。しかも古いし)
餌づけされましたな。
俗に言う、男の人の胃袋をおさえろ。それがいかに絶大か。
おさえられてどうする。

もちろん食事体験は、性のモデルとなる。
食べて寝て、が快適な相手はそれだけで、素敵なんだと思う。
それが、生きていくということだから。
何不自由ない暮らしをしていても、意外と満たされていないのが
原始的だけれど、いきものとしての三大欲求なのだと思う。
それぞれがバランスよく満たされていることは、
それだけで奇跡的、かつ幸せなのではないだろうか。

実のところ、愛なんてよくわからない。
いろんなものが、絡みすぎて。
愛と銘打ったって、打算も依存もある。
頭で考えすぎて、よく、私は動けなくなる。エゴである。
だから、快や不快。本能的な感覚。
もっとそれを信じても、いいんじゃないかと思う。

欲求といえば、私は本当に抑制がきかない。
だいたい出不精だし、些細なことも面倒くさいし、
人がいると見栄をはるんだけど、性根がもはや怠け者なんだろう。
そんな怠け者に「転生」を与えたなら、もはや末法思想。
これは経典?生まれ変わりに願いを託し、今生のことは見ずにおきたい。
テーマが壮大・崇高・厳かなため、なんだかトリップしすぎて、
しかもこれ、エンドレスアルバムですよ。
「・」がないとキャタピラなのねーと感心しつつ、「無限・軌道」で締めても
終わりとはじめをつないでまたお待ち申し上げられてしまったり。
聞きながらにして、生きているのを忘れそうだ。
あれ、私まだ旅の途中だったんだ。
あ、そろそろ洗濯物とりこまないと。(いきなり生活感)
そんな感じ。

ある頃までは、私って勤勉、と勘違いしていた。
「ストイック」に「努力」するのは好きなのですが
そうやって、必要以上に自分を追いつめたがるタイプは
両極にふれやすく、タガが外れると、止まらない。
しかも、睡眠が趣味。ひまがあったら、とにかく寝たい。
おかげでお肌つるつる、髪さらさら(これ睡眠効果)
また情けないことに、働かなくても生産的活動をしなくても、何とも思わない。
副職をいくつも持つ友人は、3日も働かないと不安になるというけれど、
私は、困らないなら、何もしたくないなあと思い、療養中なんかに、
実際困らないからそうしていても、たいして危機感も感じないのだから
おめでたいというか、大脳辺縁系をもつ人間として、失格である。
場合によっては食べるのさえおっくうだし、ひとりが大好きな私は
本が読めて、寝られたらそれだけで、一生満足して暮らせるような気がする。

それで生きたことになるの?
けれど、そんなささやきが聞こえてくる。
それも無視しているとやがて
目を覚ませはやく。
こんどはどら声っぽい(失礼)

そんな私が、少しでも高みをめざしたい。そう思うのは、
人の心にふれたとき。
温かさや懐の深さ。
その裏には、及びもつかない悔しさ、やりきれなさがあるのだと思う。
降ってくる悲しみや苦しみには、きりがない。
嫌な思いや苦労なんて、しないにこしたことはない。
人が優しくなれるのは、痛みによってのみなのだろうか。
そして人の背おう、負の要素は、際限がないのだろうか。「Pain」のように。
それでも相対したとき、心がぱっと照らされたように明るくなるのは
きっと、その人の精神の強さのせい。
けれど明るさゆえに垣間見える、哀しさもある。
そんなとき、少しでも相手の前に立って恥ずかしくない自分でありたいと
心を通わせていたいと、もしかしたらためになれるかと、
傲慢だけれど願うのはもう、愛なのかもしれない。

私自身、限りないと思うものは、愛や情を求める気持ち。
もっともっとと、最もエスカレートしていくもの。
ゼロならゼロでいい。
けれど、わずかでもあるならば、それを増幅させたくて。

93年夜会で歌われる、「愛よりも」。
心のベストテン第3位に常駐しているくらいに、愛している曲。
月泥棒が、月を求めて高く高く、どこまでも階段を上って行く。
頭上に月が、不気味なほど大きく、けれど手には届かない高さで燦然と輝いている。
月泥棒の手が、何度も空をかき、月へとのべられるラストシーン。

前半のただ相手を「待つ」ことから、自ら会いに行く切り替えがなされ、
それが、月を目指すという行為に体現されている。
けれど、その思いさえも、貫くことはできない。そんなふうに見える。
それが人間の業なのか。
そして見果てぬ夢なのか。
月を獲る、愛しい人に会うことさえも。

ところでこれって、変わらない夢を流れに求める行為なんでしょうか。
自ら行動しているわけだから。
夢が、裏切らぬものかどうかはあやしいけれど。
時の流れを止めて変わらない夢を見たがるよりは、ましと。
救いを待つよりも、罪は軽いと。
いつの時代も、世の潮流はこの二つなのかな。
右翼と左翼みたいに。

昨年をあらわす漢字は、「愛」なのですってね。
今年はどんな一年になるでしょう。
すべての人の、愛も夢もかなう年になりますように。
あなたがいつも、幸せでありますように。