24時着00時発


東京公演後に記す。夜会の情報源としてはたぶん役立ちません。

自分の中の夜会の位置づけ(あくまでも・評価という名の・思いいれ)ハイ五.七.五
は、たびたび揺らぐものではありますが
見たときの、リアルなきもちということで。


私は「夜会」がとても好きだ。
毎日を一年を、夜会をそして夜会の日を思い出して
やり過ごしていることは多い。

・・・・・・すっとばしたり、最中にガンガン寝てたり するんですけどね。

そんな、ファンとも名乗れぬ愚行を重ねる私だけれど
それさえ、ありだと思っている。
それが「生」である所以であり、舞台だからだ。
演じる側のコンディション、受け手のテンションが呼応するものだから。
それは客個人にしても同じで、それぞれ今日も何かがあって、それでもその日
同じ空間を共有して、同じものを見ている。
それが、舞台の楽しさ。夜会の醍醐味。


でも、ごめん。
私はなめていた。中島みゆきという人を。
再演、値上がり、会場の移転。
どんなもんなの、という思いでいっぱい。
ためす〜ような〜目〜で〜、思いっきり見ていた。

開演しても、基本的には同じ流れ。やっぱり焼き直し?
そうすると、初演の再現みたいに見えてくる。
前回何度も見ているうえ、DVDまで出てるから。

しかも悪天候の影響で、音が割れるしテンポがずれる。
青山劇場はバンドの音が生で感じられ、それがよさではあるけれど
建物が古く、音の抜けが悪く、雨天の湿気で特にドラムがうるさく感じられた。
天候や座席によるのだろうけれど、あまりにひどく思えて
本当に、音響にこだわる中島みゆきの舞台なのかと疑いたくなったほどだ。

でも、「パーティライツ」の譜割りが変わって、それに合わせてみゆきさんが
くるくる回る(踊る)のを見ていたら、なぜだか涙がとまらなかった。
人生ってつらいな、つらい、つらいと思った。

夜会は、一幕が不可解な印象で、客席も置いてきぼりムードで休憩
あけて二幕でやられ、泣かされて帰ることが、意外ともいえない頻度である。
今回もそう。
音のせいもあり、何かとても煮え切らない感じがしていた。

第二幕。圧巻だった。
何がどうって、言えないんですけど…
どれくらいすごいかっていうと、
妊娠してたら、産まれたんじゃないかってくらい。
いや、想像妊娠しちゃったってくらい?
ていうかみゆきさんて男なしでも受胎しそうなんですけど。
ともかく見ているうちに、腹が据わった。

忘れていたけれど、みゆきさんはプロなのだ。
誰よりもプロ。
歌手にしては、音は外すし、歌詞も間違うけれど
それでも余りある気迫が、性根がみえる。

「歌い方」が上手いだけの人は、掃いて捨てるほどいる。
歌に、声に、何がこめられるか。何が伝わるか。
それだけ。
熱唱していて、実際青筋立ててる人。
熱唱してるそぶりなのに、ちっとも声の出てない人。
中島みゆきは、なんでもない風に涼しい顔して歌ってさえ
ただごとでない迫力が、その声に伴われている。

そして以下、舞台を見ながら、延々めぐらせていたまわりくどい考え。

少し前、私は、「みゆきさんを見ているのが恥ずかしい」と書いた。
すべてを明かされているようで。

しかしこのときは、違った意味においても、自分を恥じた。
みゆきさんの、あまりにまっすぐな視線を、舞台からうけていたら
私はここにいては、いけないんじゃないかと思った。
いっそ中座したいくらいに。
私は今、みゆきさんとは、向かい合えない。
見ている資格なんてないと、思ったからだ。

自分の心がわかるのは、自分だけ。
自分だけは、やっぱりごまかせない。
それが、私が中島みゆきを好きな理由だからだ。

自分の持ちうるエネルギーを全開して100、もっと使えて120あるとしたら
今、日々使用しているのは30、いや10以下かもしれない。
たぶんはたちすぎくらいからもう、そんな低速・省エネ運転。
ちょっとすり切れてまして。
しかも最も、自分がなるはずもないと思っていた姿が、ここにある。
そんな人、価値がないと思っていよね、切り捨てていたよねえ。

たしかにふりかえれば、よかったと思えることもたくさんある。
しかしそれは、ふりかえればであって、結果として得るところが
あった(ような気がする)と思おうとしているわけであって、
ふりかえったとしても、こんなことってありか的な不可抗力が
はたらきすぎると、よかったことなんて、もてすぎることくらいです、うふ。
とかこわれます。

だから、学生時代はよかったとか、若い頃にもどりたいだとか、本気で
口にしているのを聞くと、
こいつ※※※※※(呪いのことば)
いや、大変およろしいこと、と思います。

懐古するのは、男の人に多いのはなんでだろう。
でも、私が素敵と思う人は皆、今がいきいきしている。
今だって、むしろ昔も、本当は楽なはずはないのかもしれないけれど
ささいなことで楽しんでみせる、そんな人になりたいと思うし
それがわかるになっただけでも、よかったと、思う。
これが、本当に思う、よかったこと。
そして、出会いの意味を、理解できるようになってきたことも。


いちばん最後に、私が
一時的な瞬間だけでなく、いきいきしていて、
その日を完全燃焼していたのは、いつのことだったろう。
9才くらい?

いつのまにか、後ろ暗い性格になったように思う。。
もっともそれが元来の性分なのかもしれないけれど。

いくらでも、どこまででも、手を抜くことなんてできる。
楽に生きようと思ったら。
得していたいと思ったら。
けれど。

年をとるのはいいことですよね。

怖いとしたら、歳月を経るほどに、生きてきた時間が積もり
重なるほどに、ついていく差。
地位や肩書きなんかではなく、目に見えないもの。
それでも、決してかくしおおせないもの。
わかる人にはわかってしまうもの

とくに人に見られる商売、舞台の怖い所は
立ち姿に、その人の品性までもが透けて見えること。

中島みゆきを見てごらんよと。


私はぬるいのと、中途半端なのは嫌い。
ぬるいんだったらとことんぬるく(あれ?)
いつも走り続けていなくたって、いいとは思う。
進むことを投げているわけではない。
時節ってものがあるから。

だけどそのことに、背負いすぎていた。
仕方ないんだからと。
誰のせいでもないんだからと。
どうしようもなかったからと。

あれこれ理由をつけて、事実に必要以上に
意味をもたせているのは、明らかに自分なのだ。
もういいじゃないと、そろそろかな…と思った。

そんな夜会直後
携帯が、お釈迦になる(古すぎる表現)
これまたホラー。

私は、夜会の周期で携帯を換えているのです。必然的理由で。
2004年に入ってすぐに買って夜会、2年使って
夜会に行ったらコレですよ。
言わずもがな、携帯がダメになると、いろいろ失う。
ずぼらな私は、さっぱりメモリーをとっておらず
今回はさすがに、天命かと思った。
いろいろね、改めなさいと。(思い当たるフシありすぎ)

そうね、唯一心残りは、劇場入り口で写真撮ったのに
なくなっちゃったことかしら。

そういう時期なんだと思う。
夜会が巡ってきたんだもの。(ええええそういう理論?)
次回の夜会があるならば、
そのときまでが、またひとつの勝負。

単純に考えて、再演とは、
新たなものを作り上げるより、むずかしいのだろう。
初演のよさを失わず、かつ、観客を裏切る。
再演から新たに見た人にもわかりやすく、面白く。
人というのは、なにかと比べてはけちをつけるもの。
古いものほど、美化される。
書いてたら、「世情」を聞きたくなってきた。
とにかく、それほど難題。まさに「注文の多い料理店」。

「サヨナラ・コンニチハ」
冒頭におかれた、<同じ曲>ではあったけれど。

あの朗読がよみがえる。
たくさんの熱唱も聞いたけれど、
じつのところ、今回はこれ以外、印象になかった。
この朗読でさえ、聞いたときには奇異に思えたけれど
2時間半の夜会を終えたそのとき、そしてその後
いちばん初めに聞いた「サヨナラ・コンニチハ」
これが、心に響いていた。幻聴?

その後のすべての構成が、この詩のためにあって
すべてが終わってなお、ここに帰る。
こういうのをやられたって言うのだろうか。

もはや、ほうーーーーー、としか言いようがない。

(放心)


私はサントリーホールのようなこだわりある場所がとても好きなので
適度にラグジュアリー感があって、ムードも独特なコクーンは、
濃厚な気分で夜会を楽しめた。
そこで毎晩行われる、ひそやかな集まりというのがぴったり。

対して青山劇場は、開放感があり、
コンサート寄りで、敷居が低くなったイメージ。
座席の増加で、とりやすさも増大。
高値につきちょっと見てみてと、人は誘いにくくなったけれど。

私はあの絵を見たいとか、来日した楽団を聞きたいとか
そういうことだけは、小さな頃から贅沢をさせてもらったと思う。
だから、わかってもわからなくても、何かに触れるのは刺激的で
お金はそんな用途に使うのがいいと思っている。
だけど、だけどね、これほど好きな中島みゆきだとしても、
ほかの舞台と比べても、個人的に高価格に思える公演だった。

しかし結局、行く人しだい。

私はよく、<「夜会」が好き>と言うけれど
そこで指す「夜会」と、今回の公演はまったくの別もの。
けれど、「夜会」と銘打っているこの夜会が、
言うまでもなく、中島みゆきの、見に行った人の、「夜会」。
みゆきさんは、潔い人だ。
これから新天地で何かやろうとするなら、それが「夜会」。
それをこの目で見てみたいと、私は思う。
高いけどね。


<06 夜会のツボ>
・「サヨナラ・コンニチハ」の「どこからか、どこまでか」のみゆきさんの言い方
・大穴だった「月夜同舟」
・「無限・軌道」の「終わりとはじめを繋ぐ〜」で音程がくいっと↑上がるところ